「パソコンはヴァーチャルマシン」
NEC(日本電気)の水野幸男さんに単独取材をしたのは数えるほどしかない。パソコンの隆盛期にIT専門紙の記者を7年近くもやっていた身としてはお寒い限りで恥じ入るばかりだが、水野さんには記者としての姿勢を問われたという思いが強い。
1984年だったと思うが、当時「ソフトウォーズ!」というタイトルでソフトウェアのキーパーソンを取材していて、水野さんにもお会いした。のちに水野さんはNEC副社長、情報処理学会会長などを歴任しているが、そのときは常務だった。
水野さんには主としてパソコンOSについて訊いた。いまではWindow 8発売のニュースがNHKでも報道される時代になったが、当時はパソコンOSなど業界内の話で、恥ずかしながら私自身、OSのことはよく解っていなかった(これは今もって変わらない)。にもかかわらず、斯界の権威にOSの取材をしたのだから、今から考えれば蛮勇、笑止というほかない。
だが水野さんは紳士で、当方の質問にきちんと答えてくれた。例えばこんな按配である。
――日電のPCは独自のOSのほかにMS-DOS、CP/Mも採用しているが、それらをどう評価しているか。
水野 従来のOSはハードウェアから出ているが、MS/DOSやCP/Mはソフトハウスが使いやすさをポイントに開発したもので、注目している。どちらがどうとは言えないが、基本的にソフトウェアはMS/DOSやCP/Mそれぞれの上で動く必要がある。そのためにはPCはインポート、エクスポートのポータビリティを持つ一種のバーチャルマシン(仮想機械)という考え方も必要といえよう。
コンピュータを仮想機械とする考え方は1960年代の初め、バロース(現ユニシス)が商用初の仮想記憶装置を開発した頃から始まっている。だがそれは汎用大型機の世界の話で、パソコンで仮想化という話はこのとき初めて聞いた。パソコン雑誌などで仮想化が特集記事になりだしたのは1990年代以降ではなかったか。
このときの取材ではUNIXも含めたマルチOSや、マルチタスクという話も出た。シングルタスク環境では逐次処理をするため、ディスクやネットワークの処理に時間がかかり、入力待ちや通信待ちが起きる。その間にCPUを動作させて別の計算をして全体の処理時間を短縮する、というのがマルチタスクである。
仮想化やマルチOS、マルチタスクの話を聞いているうちに、それがどういう世界を招来するのかよく解らなくなった。次に何を訊くべきか? すると水野さんが言った。
「じゃあ、この辺で...」。もらっていた1時間にまだ15分ほど残っていた。
水野さんが退室してから広報担当者がぽつりと口にした。「おかしいな。次までにまだ時間があるはずだが...」。私は敗北感を味わった。そして恥ずかしくなった。水野さんに「これ以上、お前に付き合っている暇はない。ちゃんと勉強して出直して来い」と言われたと思ったからである。
評論家・立花 隆氏の『知のソフトウェア』という本に、100の質問を考えるという話が出てくる。氏はこの中で取材者の力量不足を指摘し、「何とかの件ですが...」と投げかけて相手が勝手に話してくれるのを待つだけで、具体的な質問が出来ないのが多いと述べている。私はそこまでひどくはないと思っているが、このときは10項目ほどしか考えてこなかった。あとはそのときの成り行きでなんとでもなると自惚れていた。それをものの見事に水野さんに打ち砕かれたのである。
以来、できるだけ予習し、100項目とは言わないが、なるべく多くの質問項目を考えるようになった。いま、水野さんに取材する機会があれば、持ち時間を超過しても取材できると思うが、確固たる自信はない。「少しはマシになったが、まだまだだな」と言われそうな気もする。水野さんは2003年1月に亡くなられた。