「それはいい、と言ってみよう」
コピー機のメーカーにリコーという会社がある。もうかなり前のことだが、そこの会長だった浜田広さんに座右の書について取材したことがある。浜田さんは読書家で、忙しい会長職の合間にも本屋を見つけると立ち寄り、数冊は買う。毎月30冊程度は読むという話だった。
で、浜田さんが座右の書として紹介してくれたのが『人間的魅力の研究』(伊藤肇著)という本である。この本を知らなかった私は、なんと直截的でレポートみたいなタイトルの本か、浜田さんともあろう人がそんな本を読むのかと少々落胆しながら話を訊いた。今から思えば、冷や汗三斗である。
そのとき浜田さんがこの本をどう語ったか忘れてしまったが、気になったので帰りしな、版元の日本経済新聞社に寄り文庫版を買って読んだ。そして納得した。この本は面白い。人間の資質を深沈厚重、磊落豪勇、聡明才弁というように分類し、さまざまな人物を採り上げて、汲めども尽きぬ人間の魅力といったものが書いてある。浜田さんにも著者の伊藤肇氏にも頭の下がる思いだった。
浜田さんに取材したのはこのときが初めてではない。私はOA(オフィスオートメーション)業界紙の記者をしていたことがあるので、販売本部長以降の浜田さんに何度もお目にかかった。社長に就任してからだと思うが、浜田さんはある年の年頭所感で「誰かが何かを提案したら、それはいいとまず言ってみよう」といった趣旨の発言をされた。さすがにいいことを言うなあと思ったものだ。
提案には、ほじくっていけばどこかしら穴や弱点はあるもので、批判的な反応をしておくにしくはない。コケたとき「だから言ったろう」と言うことができる。認めるには、ある種の勇気がいる。この勇気というか、まず相手を容認する前向きの姿勢が、浜田さんのそれこそ人間的魅力なのだろう。
取材が終わって雑談になったとき、浜田さんは島津日新斉の「いろは歌」というのを教えてくれた。日新斉は「島津中興の祖」と言われている人物で、鹿児島出身の浜田さんが当時、鹿児島県人会長をしていたことからそんな話になったと記憶している。
「いろは歌」は、人間として社会に生きる道を説いたものという。面白かったので、コピーをもらった。始まりの「い」と、終わりの「す」の項はこんな歌だ。
いにしへの道を聞いても唱えてもわが行いにせずばかひなし
解説の必要はないだろうが、昔からの立派な教えをいくら聞いても、それを口に唱えたところで、自分で実際に実行しなければ何の役にも立たない。
少しきを足れりとも知れ満ちぬれば月もほどなく十六夜の空
物事は充分でなくても満足だと思っているほうがよい。月でも満月になると翌日からは十六夜の月となって欠け始めるものである。
どうです? うーん、なるほどと思うでしょう。ところでこのブログのタイトルだが「生縁(しょうえん)」は、袖振り合うも多生の縁、「察智(ざっち)」は仏教でいう五智の一つ妙観察智から拝借した。これまで取材でお会いした方々や、そこで得たちょっと面白い話をこれからしばらく書いてみたい。
コメントする