このブログのタイトル「生縁察智」(しょうえんざっち)の「生縁」は、「袖振り合うも多生の縁」から採った。なので、一度しか会ったことのない人でもインパクトが強ければ採り上げる。そんな一人が数学者で大道芸人でもあるピーターフランクル(Peter Frankl)さんだ。
フランクルさんには2005年、東京・渋谷にある彼のオフィス「富蘭平太事務所」で会った。グローバリゼーションの名の下、日本人の持つ美しい風習が失われつつある。そのことに対する警鐘を在日外国人に鳴らしてもらう、というのが取材の目的である(2006年2月、『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか―親日家8人からの熱きメッセージ』のタイトルで明拓出版から刊行))。
会ってまず驚いたのは、その胸板の厚さである。大柄ではないが、大胸筋の盛り上がった逆三角形の胸は相当に鍛えている感じだった。だがそれは序の口で、日本に対する知識や理解の深さにさらに驚かされることになった。
フランクルさんは1953年3月生まれ、ハンガリーの出身である。18歳のときに国際数学オリンピックで金メダル、24歳で数学博士号を取得。ユダヤ人のため、両親や家族はアウシュビッツ収容所に送られ、両親は九死に一生を得たが、両親の家族は全員ガス室で殺害された。「もし神がいるのなら、このように罪のない人々を苦しめることはないはずだと両親は無神論者になった」とフランクルさんはいう。ご両親はともに医者である。
自身も差別に遭っている。たとえば7歳のとき、隣家の女の子と遊んでいて言い争いになり、言葉に窮した女の子から「臭いユダヤ人」と罵られた。「ユダヤ人と判らないよう、キリスト教の国ならどこにでもあるような〈ピーター〉という名前をつけてもらったにもかかわらずです。だからハンガリーは祖国というイメージはかなり薄い。ぼくはハンガリーを祖国と思っても、国民の多くは認めてくれない」
それならばと、フランス人になりきるつもりで仏文学を勉強して亡命したフランスでも事情は同じだった。欧州がだめならと亡命したアメリカでは、欧州ほどの差別はなかった、ものの別の壁にぶつかった。そこで研究員交換制度を利用して訪日することにした。
じつはフランクルさんは、1972年に訪日した両親からいい国だと聞かされ、好感を持っていた。また両親の招きでハンガリーを訪れた日本の大学教授に会い、聡明で寡黙で礼儀正しい教授に、日本に対してさらに好印象を抱いていた。
はたして、1982年9月に訪れた日本は「地球上の天国のように映った」。差別のない公平な社会であり、国民は一億総中流といった感じで仲のよい雰囲気があり、好奇心旺盛で、聞き上手で、礼儀正しく、とても親切だった。
だがそれから四半世紀を経て「日本人はマイナス思考になっている人が多い」とフランクルさんは警鐘を鳴らす。郵政民営化への賛成や、議員年金への反対の背後には「自分よりいい生活をしている人への妬みがある」と見る。タカ派政治家のナショナリズムにも危険を感じる。
「愛国心や愛国主義はいい意味でのナショナリズムという言い方があるが、それは違う。ナショナリズムは国粋主義であり民族主義であって、愛国心や愛国主義を表わす英語はパトリオティズム(Patriotism)です。国粋主義は一つの物差ししか持たず、自国が全ての面で優れていると考える。一方、愛国主義は世の中を客観的に捉え、相手の国を否定することなく自国の文化や人を愛することで、それはとても美しい」
フランクルさんは、大好きな黒澤明や溝口健二、大島渚といった監督の作品が映画館で上映されなくなったこと、商店街の減少による広場文化の衰退から、中選挙区制の必要性、美しい日本語の衰退まで、さまざまな面で警鐘を鳴らす。11カ国語を話せるフランクルさんに「習得するには複雑で難しいけれども、逆にそれゆえに美しい日本語が、カタカナ語にどんどん侵食されていくのはとても寂しい」と指摘されると、こっちまで寂しくなってくる。
「民族としての意識は、使っている言語が母体になる。その言葉が消えたところは、民族も滅びた。その伝でいくと、いまの日本語の乱れや衰退は、民族としての日本人の存亡の危機につながるのではないか」
こうした警鐘の詳細は先に紹介した『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか』を読んでいただきたいが、最後にもう一つだけ紹介しておきたい。それは、日本人の生き方や国の舵取りに関する話である。アメリカとの比較で、フランクルさんはこう語る。
「アメリカは結果重視の社会で、どんな手段を講じてもいいから、とにかく勝つべきと考える。だから、広島と長崎に原爆を投下したことにアメリカ人は罪の意識を持っていない。それによって戦争が早く終わったのだから、意味のあることをしたと思っている」
「一方、日本は本来、過程を重んじる文化で、それをわかりやすく説明してくれるのが茶の湯だ。結果だけを見ると茶の湯は、わずかな量の抹茶を飲んで、小さな和菓子を食べるだけだが、茶室に入り、正座して瞑想状態になり、空間と一体感を感じながらお茶を一服いただく。ぼくはこうした作法に贅沢を感じるし、時間の流れを感じて、本当に素晴らしいと思う」
「人生を考えれば、結果は皆同じ。皆、死ぬのです。そして火葬場に行く。だからといって、早く火葬場に着いた人が勝ちでもないし、皆死ぬからといって、それで人生に意味がないわけでもない。人生の意味はまさに生きる過程にある。だから、過程を重んじることが人生を豊かにすると思うのです」
日本が大好きなフランクルさんは、これからも日本で暮らしたいと思っている。だが国粋主義がもっと強まって、かつて小泉八雲が大学を追い出されたように外国人排斥運動が起きるような事態にでもなったら、「仕方なく日本を出て世界放浪を再開するかもしれない」という。
経済活動で諸外国とこれだけ絡み合っているいま、そのようなことは起こりようがないと私は思うが、フランクルさんの警鐘には大いに耳を傾けたい。
フランクルさんの警鐘を所収した書籍
明拓出版の連絡先:電話/FAX 0742-48-1898
メール meitaku@yellow.plala.or.jp
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