「長幼の序の気持って大切だと思います」
昨年(2012年)末のNHK紅白歌合戦では東方神起、KARAといったK-POP(韓国大衆音楽)の姿が消えた。竹島問題を起因とする日韓関係の冷え込みが背景にあるらしい。知りうる限りの情報では、竹島に関する日韓の主張は日本に分があると私は思うが、政治問題で文化芸能活動が制限されるのは不幸である。
K-POPの先駆者ともいうべきキム・ヨンジャさんが今年2月9、10日に予定していた世宗(セジュン)文化会館でのコンサート(日本からのツアーが組まれていた)も中止になった。理由は明かされていないが、同じ事情からだろう。世宗文化会館はソウル特別市にある韓国(大韓民国)最大の複合芸術施設だそうである。そしてヨンジャさんは韓国の美空ひばり的存在の歌手だ。残念なことである。
ヨンジャさんにお会いしたのは7年ほど前になる。東京港区・芝公園のメルパルクホール(東京郵便貯金ホール)での公演を終えて一階のコーヒーラウンジにやってきたヨンジャさんは、小柄な体からエネルギーを発散させていた。
キム・ヨンジャ(金蓮子)さんは1959年1月25日、韓国全羅南道光州市の生まれ。韓国TBCテレビの歌謡新人コンクールに二度優勝し、プロデビューした。1981年に発表した「歌の花束」は360万枚のゴールデンディスクとなった(取材した時点でこの記録は破られていない)。初来日は1977年である。
韓国の美空ひばり的存在と書いたが、ヨンジャさん自身、美空ひばりを尊敬しているという。
「知り合いがひばりさんのレコードを持っていて、日本にはすごく歌のうまい人がいるんだよって、港町十三番地を歌ってみせてくれた。わたしも真似して歌ってみたけど、こぶしについていけない。すごいねって感心したら、じゃあ、オリジナルを聴かせてあげるって。それで初めてひばりさんの歌を聴き、感動したのを覚えています」
歌謡新人コンクールの優勝が日本のレコード会社の目にとまり、1977年8月に来日して、その年の11月にはアルバムとシングルを同時発売した。「すごいでしょう? 日本にくるなりレコーディングして、アルバム発売という破格の待遇!」
レコーディングしたのは韓国の歌謡10曲。1番と3番は日本語、2番が韓国語という構成で、日本語を特訓してのレコーディングだったが結果はあまり芳しくなかった。帰国し、三年後に再来日したが、それは歌手としての闘争心を鼓舞されたからだという。
「口幅ったいことを言うようですが、お金のためだけなら韓国で歌っていれば充分やっていけました。でも、よい仕事がしたくて日本にきた。日本はステージの設備や環境が素晴らしく、なによりお客様の質が高くやりがいがあります。そうしたレベルの高い日本で仕事がしたかったのです。おかげさまで今ではよい仕事ができるようになりました。ですから、わたしは日本で育てていただいたという気持ちを強く持っています」
そのお返しを少しでもしたいと、ヨンジャさんは数多くのチャリティコンサートを開いている。例えば1991年の雲仙普賢岳噴火の被災地である長崎・島原では終息宣言が出るまでの5年間、毎年自主コンサートを開き、被災者を励ました。
「初回は6割ほどの入りで、お客様は暗い表情をされていました。それが2回、3回と続けていくうちにお客様の表情がだんだん明るくなっていったんです。とても感動的でした。わたし自身、ああコンサートを続けてよかったと、とっても嬉しくなった。そして、日本語でいう報恩というのはこういうことだったんだ...と、しみじみ思いました。相手を癒したり励ましたりしてあげているつもりが、いつしか自分も癒され励まされるのです」
1995年の阪神淡路大震災でも発生5日後に、交通手段に苦労しながら被災地を訪れ、ミニコンサートを開いた。全国の刑務所を訪問して受刑者を慰問する公演も40回以上開いているし、海外での被災者慰問活動も続けている。
「わたしは歌手ですが、その前に一人の人間でありたい。ですから、これからもこうしたチャリティコンサートや慰問公演を続けたいと思っています」
話を聞いていると、ヨンジャさんが韓国人であることを忘れそうになる。
「わたし、どこか日本人っぽいところがあるんですよ。韓国人って、仲がよくなると相手との一線を取っ払って何でもしてあげたいタイプ。それはそれでいいと思うけど、だからといって相手にズケズケと入ってこられるのも、わたしはいや。それは18から20歳までの人格形成に一番重要な時期を日本で過ごしたことが影響しているみたい。ですから韓国では、日本人っぽいとよく言われます(笑)」
だが、いまでも歌い方は韓国人だと思うという。「だってカンツォーネが好きだし、大きな声で歌うのが得意ですし。語るような歌い方とか、ソフトさ、優しさといったものは日本にきてから勉強しました」
歌い方だけではない。考え方にも韓国人としての根のようなものが生きている。
「わたしは儒教が大好き。なぜかというと長幼の序、つまり年長者は年下を慈しみ、年下は年長者を敬うという考え方が好きだからです。子供が大人になり、お父さんになり、お爺さんになり、やがては死を迎える。これって、皆が辿る人生の順番なんですよね。それなのに、子供や若い人がお父さんやお爺さんを馬鹿にしてどうするんですか。自分たちはお父さんやお爺さんにならないんですか? 韓国人として日本の若い人を見たとき、一番歯がゆいのはそこですね」
ネット社会になり、グローバル化が進んで、ビジネスでは過去の成功例は役に立たないといった風潮がある。学校では教師も生徒も平等という意識があるとも聞く。そうしたことが、日本で長幼の序が薄れている要因かもしれないが、ヨンジャさんの指摘は傾聴に値する。
「韓国人は目上の人を大事にします。それは自分たちがいずれ辿るべき順番であり、人生の道であることを承知しているから。でも日本の若い人たちは、あたかも自分はそこに辿らないかのような物言いをすることが少なくない。ですから、いずれあなたたちもその世代、年齢を辿るのよ、という教育や環境づくりが必要なのでは? まず大事なのは現在の家族。その次に大事なのは過去の家族。そして隣近所の人たちとの輪。そういうふうに輪、輪、輪で広げていけば、隔絶した他人意識というものは生まれないと思うのです」
東日本大震災以降、日本でも「絆」意識が生まれた(この言葉にはどこか欺瞞を感じて私は好きではないが)。だが、独居老人は増える一方で、孤独死も減らない。「長幼の序」を再教育する必要があるのではないか。ビジネスで過去の成功が役に立たないという面があるのは否定しない。だがそのことと、年長者を尊重しないということは同列に考えないほうがいい。
キム・ヨンジャさん
キム・ヨンジャさんのオフィシャルサイト